日記とジャーナリングの違いって何?

日記とジャーナリングの違いって何?

〜「記録」としての記帳から、「変革」としての執筆へ〜

「書くことには力がある」とよく言われます。しかし、毎日の出来事を綴る「日記」と、私たちが提唱する「永峰式ジャーナリング」には、その目的とアプローチにおいて決定的な違いがあります。

どちらが良い・悪いではなく、その「構造」の違いを理解することで、あなたの内省の質は劇的に向上します。

1. 日記は「過去の記録」、ジャーナリングは「現在の再定義」

最も大きな違いは、意識の向く「時間軸」と「対象」です。

  • 日記(Diary):「今日あったこと」を時系列に沿って客観的に記録するものです。例:「午後は会議があった。夜は友人と食事をした。」
  • 永峰式ジャーナリング:出来事そのものではなく、その出来事を通して「自分の内側で何が起きたか」を、MLSのレンズ(ナワル)を用いて再定義する行為です。例:「会議での発言を、今日のレンズである『Akbal(深層心理)』で捉え直すと、自分の本音はどう動いていたか?」

2. 日記は「整える」、ジャーナリングは「深掘りする」

  • 日記:後で読み返せるように、あるいは誰かに見せても恥ずかしくないように、文章を整えて書く傾向があります。
  • 永峰式ジャーナリング:文体を整える必要はありません。むしろ、MLSの柱である「二元性の分析」を用いて、自分の中の矛盾(光と影)をあえて露わにします。綺麗にまとめることよりも、自分の「認知の歪み」を浮かび上がらせることに重きを置きます。

3. 日記は「ルーチン」、ジャーナリングは「創造的制約」

  • 日記:「毎日寝る前に一行書く」といった習慣維持が主目的となり、時に義務感(マンネリ)を生みます。
  • 永峰式ジャーナリング:日々の暦が提示する「創造的制約(Creative Constraints)」に従って書きます。毎日異なるプロンプト(問い)が与えられるため、マンネリ化せず、常に新鮮な視点で自分を「観測」し続けることができます。

比較まとめ:日記・一般ジャーナリング・永峰式ジャーナリング

観点日記一般的なジャーナリング永峰式ジャーナリング
対象外側の出来事内側の感情(吐き出し)認知のフレームワーク
目的記録・思い出解放・ストレス軽減自己変革・意思決定の最適化
形式時系列・整った文自由(フリーライティング)創造的制約(レンズ・ナワル)
スタンス受動的(起きたこと)受動的(感じたこと)能動的(どう認知するか)

4. 永峰式が提案する「新しい書く習慣」

日記が「過去の自分」を残すためのものだとしたら、永峰式ジャーナリングは「未来の自分」を設計するためのものです。

MLSの4つの柱の一つである「運命論の切り離し」を適用すれば、日記にありがちな「今日は運が悪かった」という感想は消えます。代わりに、「今日のこの出来事を、どのレンズで解釈し、次の自由(選択)に繋げるか?」という建設的な問いが生まれます。

まとめ:どちらも使い分ける、という賢い選択

もちろん、日記が持つ「ライフログ(生活の記録)」としての価値は否定できません。

大切なのは、その時の目的に合わせて「道具」を使い分けることです。

  • 生活の記録を残したいなら、日記
  • 溜まった感情をスッキリさせたいなら、一般的なジャーナリング
  • 自分の認知を変え、現実を主体的に動かしたいなら、永峰式ジャーナリング

もし、あなたが「毎日書いているけれど、人生が変わっている実感が持てない」と感じているなら、一度「記録」の手を止めて、永峰式の「レンズ」をノートに持ち込んでみてください。